日本の3大ドヤ街「横浜市中区寿地区」で人々の生活に密着し、様々な支援に取り組んできた「寿福祉センター」の前保育所長の村田さんのブログ

社会福祉法人神奈川県匡済会 ことぶきで暮らす人々あれこれ

神奈川県匡済会

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2020年02月16日

ことぶきで暮らす人々あれこれ 67

自治会の発会式とその後の活動 その4 自治会発会後の活動記録(2)

 

馬車馬のように、エネルギッシュにという活動状況が続いていました。寿で暮らす大変さを感じつつ暮らしを紡いできた人たち、寿という町への愛着と寿という町に住み続ける辛さをエネルギーに変えている人たちと共に実践しているという感覚がありました。

 

9.1. 住宅改善要求デモ行進。

8月に明らかになった「違法建築」は新聞紙上でも大きく扱われました。横浜市の横断的な部所である企画調整室とともに立ち入り検査に立ち会いました。この後、自治会ではこの問題の取り上げ方で話し合いが沸騰しました。

今度の違法建築とされた「寿洛ビル」の内容は、建築確認申請では貸事務所とありました。誓約書が添付されていて、「場所柄、簡易宿泊所ではないかとの指摘がありますが(中略)そうではないことを申し添えます。」とありました。平面図では、6畳の広さの事務所が並んでいましたが、建築確認後、間仕切り壁をして3畳の簡易宿伯所に変えたのでした。

議論は、労働者の役員と、管理人という立場である役員とでは、当然考え方が違いました。見え透いたやり方に対する怒りは共有できるのですが、具体的にどうするのかという点では議論は別れました。この問題を自治会がどのように考えているのか、同町の人たちに知らせるたらよいのか。町をデモ行進すること、住民集会及び映画会を企画しました。

デモ行進を行うことには反対と賛成がくっきりと顕れました。その他の意見では、時期尚早だ、違う方法はないか、話し合いがまとまらないでやるのはどうかなど色々な意見が交わされました。自治会としての結論が出ないまま、何かに押されるように役員有志と関心を持つ住民の方々でデモ行進をすることになりました。デモ行進では、「住宅問題を考えよう、話そう」と名付けられた集会と映画の夕べの参加も合わせて呼びかけました。

9.2.「住宅問題を考えよう、話そう」住民集会と映画の夕べ

職安の屋内がいっぱいになるほど住民が参加してきました。参加した住民が日頃感じている思いが吐露されました。狭さや不便さや部屋代や火事の怖さなどなど。寿洛ビルの経営者も自治会の出席要請に応じて出席していました。

その他、集会には横浜市企画調整室、建築局、民生局、消防局、中消防署、横浜市従業員組合などが参加し聞き入っていました。

後にも先にも、住宅問題を取り上げて話された集会は、この後には今日までありません。

自治会の役員間では、立場の違いというものが鮮明になりそのことを意識せざるを得なくなったという影響を残すことになりました。

この問題は、意外な展開を見せました。寿洛ビルに居住している有志が、議会に陳情しました。我々はここを出ると住むところがない。ここに住み続けられるようにという趣旨の内容でした。

結局この陳情が契機となって、寿の最大の問題の一つである住宅問題を公に議論する気運が急速に引いいきました。

9.7.第17回役員会

10.5.第18回役員会

夜間レントゲン検診実施のための中保健所交渉

10.19.第19回役員会

神奈川県簡易宿泊業協同組合、横浜簡易宿泊事業協同組合の両組合との話し合い。

10.24.夜間レントゲン検診実施。

念願の夜間レントゲン検診が実施されました。日雇労働者が多数を占める寿地区では、健康保険制度から疎外されていて、日雇労働者と家族は日頃から健康の維持には大きな問題を抱えています。特に過去の病気といわれるようになった結核の罹患率は高いものがありますが、その実態も把握されず、有効な検診等の予防策もありませんでした。当時、保健所は、呼びつけ方式で保健所に来る人を中心にサービスを提供する方式に変えていっていました。いわば来ない、来れない人は相手にしないという状況でした。寿では、3年ほど前から、住民有志が寿保健の会を作って夜間レントゲンの実現の活動を進めていました。

自治会は寿保健の会とともに活動を進めようやく実施に至りました。このレントゲン検診は、年間計画として、現在も実施されています。早期発見、早期治療に貢献しています。

10.25.第20回役員会

10.26.第2回 寿地区一斉大清掃実施。

11.24.第21回役員会

11.30.中消防署主催 防火管理及び査察指導会。

12.20~21.寿冬まつり.

それ以前は、年1回 クリスマス会ということで、町の人が直接かかわっることがない与えられる催しでした。このまつりは名前も改め、町の方々や自治会、寿生活館や寿福祉センターなど街に係る団体などが参加して手作りのまつりになりました。僕は仮装行列では、マッチ売りに少女にふんして町を練り歩きました。ワルガキ連中にぱっとスカートをめくられました。ワルガキの一声「ワッ 白だ!」。ということで、この後数年は、オカマ先生と呼ばれることになりました。僕の感想ですか、親しみを込めてつけていただいたと思っていたのでまったく気になりませんでした。

45.1.18.第22回役員会

しゃにむに活動を展開した自治会は、新たな年を迎えました。ひと息ついたら止まってしまうような不安もありました。みんな一生懸命でした。印象深かったのは、自治会の報告集会。部屋の中、施設の中では寿の人々は集まって来ませんでした。広場や路上でやると人は寄ってきました。これはとても面白いことだと思いました。古代ローマの集会を思ったりしました。僕は、今でもそう思っています。

次回は、自治会役員の思い出の断片。

 

「ことぶきで暮らす人々あれこれNo.67」PDF版はこちら→ことぶきで暮らす人々あれこれNo.67

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