寿で暮す人々あれこれ
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— 97 —寿で暮らす人々あれこれ彼の7年間の寿の暮らしの間、どんなに遅く帰っても2畳一間で自炊する生活を変えなかった。夜10時ころ訪ねた時も食後の片づけをしていた。彼の自炊の支度を見ると一挙手一投足が実に丁寧である。いとおしむようである。こんな人でもある。「水族館の水槽を見ると魚は大体同じ方向に泳いでいる。でも逆方向に泳いでいるのがいるだろ。オイラはあれだ」彼は都市の生活をこれ以上続けていくことができなくなっている自分を感じていた。数年前から、寿の生活のかたわら永住の地を求めてあちらこちらと旅をしていた。そのためにバイクの免許もとった。彼は、水洗トイレがキライである。臭い、汚いものは見えないように隠して流して済ませて清潔だと思っている。見えなくしてもなくならない。彼の述懐である。見えないところで何らかの始末を付けている人や仕組みがある。多くの人たちは、どんな始末のつけ方をしているか知らない。そんな都市の生活には耐えられない。彼は今、長野県の山中で生活している。自分の排泄物を畑の肥料に利用している。念願だったコンポストトイレを試行錯誤の末完成させた。十分機能しているようだ。標高1000メートルの地で薬品を使わず機能しているコンポストは彼のものだけかもしれない。山中での生活は10数年になる。御年72歳の爺様となった。彼は、常々こう言っている。「オイラは人のためには生きられない。自分を生きるだけだ」

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