寿で暮す人々あれこれ
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— 92 —姿が見えなくなっても、子どもは遅れるのはいやだから、必ず先に行って待っているよ」アキさんは、いろんなことを子どもたちとのかかわりから学んでいるのだのだという。「豆の木」は、寿のおっちゃんたちや地域とのかかわり、学校や親や豆の木以外の子どもたちに様々な影響を与えながら活動していた。毎週水曜日は手作り昼食の日。この日は、僕が豆の木の子どもとリヤカーを引いて各ドヤを回る。管理人さんの好意でためていただいた酒びんやビールビンを回収する。それを酒屋さんに持って行ってお金に換える。それを元手に昼食の材料を購入して、センターで昼食を作るのだ。来る日も来る日も子どもたちは「鶏のから揚げ」を望んだ。僕は悲鳴をあげてほかのメニューも考えてくれと言ったが却下。小学校では算数ができないといわれている子どもが、買い物は得意だった。お釣りだってちゃんともらってくる。間違いはない。これが生命力というものか。にぎやかで生意気で元気でかわいい子どもたちとの活動はどんどん広がっていった。地区外からの問い合わせや参加する子どもたちもあった。豆の木を経て学校へ戻る子もいたが時々息抜きに戻って来た。学校に行っている子どもたちも参加してきた。豆の木に通っている子を捕まえて「ずる休みは卑怯だ」といった子どもがいたが、豆の木に来るようになった。学校に行くのがつらい子どもたちは、豆の木の子どもたちにつらく当たった。学校が楽しいという子どもたちは豆の木には一向に関心を持たなかった。ある日アキさんは、とんでもない企画を持ち込んできた。豆の木の子どもたち総勢10人余りを伊豆諸島の式根島に一週間ほど泊まりで連れて行きたいというのである。僕は絶句した。いまでも活動資金に苦労している。そんなお金などないし集めるのは不可能だ。僕の答えはNOだった。アキさんは、ちっとも落胆もせず顔色も変えず普通にあの言葉を発したのだ。「私は想像することは実現出来ると思っているの」とにっこり笑うと引き上げていった。アキさんの後姿を見ながら僕はその言葉を反芻していた。とても気になり心に残る言葉ではあった。

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