寿で暮す人々あれこれ
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— 91 —寿で暮らす人々あれこれ豆の木学校の由来だが、子どもたちから自分たちの居場所に名前をつけたいとの要求があったとか。話し合いの末「豆の木学校」となったのだという。不登校の子どもたちは学校がいつも気がかりなようだ。そんなわけで、学校という名前がついたのだという。豆の木の予定は様々、もちろん算数や国語など勉強もある。社会見学やらもある。寿町探検というのもあった。アキさんに付き添われて豆の木の子どもたちが保育所にやってきた。録音カセットも用意していた。「ここはどんなことをしているところですか」などいくつか質問された。さて、子どもたちは次の探検先として、いわゆる暴力団の組を選んだ。アキさんはヤバイぞと思ったそうだが、止めることはしなかったという。子どもたちは、保育所と同じように「ここはどんなことをしているところですか」とやった。アキさんは組長から「こんなところに連れてくるな」と叱責されたという。子どもたちは、なぜ答えてくれないんだと怒っていたという。社会見学ではこんなことがあった。子どもたちが競輪に行きたいということで川崎競輪に行くことになった。アキさんは子どもたちとセンターに活動資金を受け取りに来た。僕は「育てる会」の運営資金集め係である。心の中で(競輪はよくないなー?)と渋ったが、子どもたちの張りきった様子を見ると断りきれなかった。僕が言ったことは「当たったら活動資金としてカンパせよ」子どもたちは実際車券を買ったのだが当たらなかった。以来、子どもたちは競輪場へ行くことはなかった。豆の木の子どもたち5~6人(小学校低学年)で子どもの国へ遊びに行った時のことである。僕も一緒に行った。アキさんは、石川町駅へ子どもたちと歩き出した。子どもたちは各自が先になり後になり店先をのぞくなど思いおもいばらばらに歩いていた。僕は心配になってアキさんに聞いた。「危なくない?一緒に歩かなくていいのか」。アキさんの答えはこうだった。「子どもだって迷子になるのはいやだから、必ず目の端に私の姿をとらえている。だから私が一定の速度で歩いてさえいれば大丈夫」こうも言った。「電車などで

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