寿で暮す人々あれこれ
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— 90 —想像することは実現出来る ─ アキさんのこと今は亡きアキさんと初めてお会いしたのはだいぶ以前…。寿の住民運動の会合の時だったと思う。何時、どんな内容の会合だったかは思い出せない。痩せて目が大きい方だなということが印象に残った。アキさんとは日常的にほとんど関わることがなかったが、ひょんなことから関わることになった。寿の子どもたちの不登校がきっかけだった。以前から寿の子どもたちは、寿での暮らしによるハンデから、汚い、臭い、寿の子と遊ぶな、など学校での差別や嫌がらせを受けてきた歴史がある。これまでも学校に行かないなどあったが、このころ全国的に小・中学校の不登校の児童生徒の増大が顕在化してきた時期と重なっていた。学校関係者は子どもを学校に戻すことを第一とし、不登校の子どもの父母たちは「学校に行かないで生きる」という生き方を模索し、父母たちによる「登校拒否を考える会」など全国的な活動も生まれようとしていた時期でもあった。アキさんは、不登校の子どもたちとの日常的な付き合いから、奔放な子どもたち自身も学校以外の居場所を求めていることを感じていた。アキさんは、寿の不登校の子どもたちと共に過ごすようになっていった。アキさんは子どもとの付き合いや教育には素人ではないか。子どもとの「意図的」な付き合いは初めての経験だろう。アキさんは東京教育大学理学部出身で研究者を目指していた一時期があったと知り合いに聞いた。なぜ寿に住み暮らすことになったかその経緯は僕は知らない。ある時、アキさんから会合の呼びかけがあった。寿で活動する関係団体が集まった。寿の中に不登校の子どもたちの居場所をつくり活動していくには、どうしたらよいかの問いかけだった。「居場所は必要ない、学校に戻そう」「子どもの居場所は大切だ」などいろいろな意見が出され「豆の木学校を育てる会」が結成されることとなった。

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