寿で暮す人々あれこれ
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— 77 —寿で暮らす人々あれこれの直後機動隊がなだれ込んできた。仕事よこせの運動は、このことを節目に目に見える形での活動は終息していったように僕は思えた。Nさんたちの暴力は、その後も続いた。寿始まって以来の仕事よこせ運動の「挫折」の後遺症でもあるようにNさんの行動はエスカレートしていった。さて、寿では毎年8月に盆踊りやフリーコンサートを中心とした夏まつりを行う。子どもたちのプログラムもある。その夏まつりの最中であった。子どもたちの「スイカ割り大会」のためのスイカを当保育所の水場で冷やしていた。それを、Nさんたち3人組が全部割ってしまったのである。今まで耐えていた町の人たちの怒りが爆発した。3人は逃げ回った。Nさんは逃げ廻った末、当相談所に逃げ込んできた。とりあえず施設の中に匿った。町の人たちは、50人ほどで相談所と保育所を取り囲んで「Nを出せ」と叫んだ。僕と友人数人は、門を内側から押さえて侵入を防いだ。1時間ほどもみ合いが続いた。しばらくの小康がおとずれた。その間に機動隊から「近くに待機している、何かあったらすぐ駆けつける」との連絡が入った。しかし、町の人たちは、Nへの怒りはあったが施設の中には本気で入ろうとはしなかった。それがだんだんわかってきた。遠巻きに見守っていた300人ほどの人たちは、時間の経過につれて少しずつ少なくなっていった。落ち着いたころあい、夏まつり実行委員会の人たちとNさんで話し合いがもたれた。夏まつりの舞台上で謝罪をするという結論になった。それまでは、当施設2階で過ごした。Nさんはトイレに行きたいと言った。なんとなく胸騒ぎがした。ついて行こうかと思ったがそこまではと思いとどまった。戻ってこない。2階のトイレに行ってみた。人がようやくくぐれる小窓から飛び降りたようだ。3ヵ月程後、Nさんは寿に戻ってきた。表情の険しさが消え気弱そうな表情になっていた。身体も思いきり脹らんでいた様子から一回り小さくなって見えた。それからのNさんの生活は人と交わることはほとんどなくなった。

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