— 76 —死して安らか(その2) ─ NさんのことNさんの名前を聞くと寿の多くの人は恐怖におののく表情をする。Nさんは力が強くときに理不尽なほど暴力をふるった。時は、オイルショックの影響で日雇いの仕事がぱったりとなくなる厳しい時が続いていた最中だった。横浜市や神奈川県に日雇労働者が連日のように押しかけ「仕事をよこせ」と交渉していた。はかばかしい回答はなく、日雇労働者は毎日の食事にも事欠く状況になっていた。Nさんはもちろんその交渉の中にいたが、何時の頃からか交渉から外れていった。Nさんは、生活相談等福祉分野で働く相談員たちにその抗議の矛先を向けた。僕の相談室もそのひとつだった。日雇い労働者が困っているのに「お前たちは何もしないで生活できている。俺たちのおかげで食わせてもらっているのに何もしないのはなんだ、何とかしろよっ!」寿で長く港湾で働いている労働者からも「俺たちは仕事を大事にしている。あなたたちは何もすることはないのか」と言われて責められた。僕たちはなんの言葉も返すことはできなかった。何もできない無力感を抱えながら相談室に座り続けていた。Nさんが門の前で待っていた。相談室を開ける。Nさんは、仲間3人ですわり一日中抗議の声を張り上げた。こんな混沌とした日々が数年間続いたのだ。仕事よこせの運動は、これといった成果が見られぬまま、ついに県知事室の占拠となっていった。先に記したKさんも占拠メンバーの一人だった。僕もやむにやまれず占拠の一員となってことの推移の中にいた。日雇労働者の人には機動隊が入ってくる前に知事室から出てもらうよう説得したけれど、Kさんはウンといわなかった。Kさんは思想的なものがあるわけではなく、日雇労働者仲間への思いと意地という気持ちが強かったのだと思う。最後は10数人が残っていた。機動隊がここから退去しなさいと書かれた紙を広げた。そ
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