寿で暮す人々あれこれ
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— 75 —寿で暮らす人々あれこれムに居場所を見つけたようだった。「いい職員さんがいるんだ。今度、紹介するよ」と言った。戸塚の横浜女性フォーラムで行われた何回目かのアディクションセミナー in YOKOHAMAの会場で出会った時、グループホームの職員さんを照れくさそうに紹介してくれた。Nさんという女性の職員さんだった。僕のことを「俺のことは何でも知っている人だ」と照れくさそうに紹介してくれた。僕はKさんの家族のような気持ちになった。ある日、Kさんから、相談があった。長らく音信普通にしていたお兄さんが倒産、その財産や借金の相続をめぐり資産放棄の手続きについてだった。僕は、相談そのものよりも親族が横浜で生活していたことに驚いた。Kさんは、これまでお兄さんについて一言も話すことはなかった。僕は、この30数年天涯孤独なKさんをイメージしていたのだ。Kさんの秘めていた事柄に触れ何故だか心が震えた。彼のことを知っていたつもりになっていた。人の心は奥が深いものだ。お兄さんの問題は間もなく落着した。Kさんはグループホームに場を見つけられたのだろうか。Kさんは、グループホームの旅行で立寄ったある場所のたたずまいを見て、N職員さんにそこの樹木に散骨を頼んだという。ある日、グループホームから彼が亡くなったと連絡をいただいた。グループホームでの通夜に参加した。仲間が集まってKさんの通夜が営まれていた。後日、N職員さんから散骨を済ませた、とお知らせをいただいた。思えば、Kさんの一生は自らの汲めども尽きぬ苦悩との格闘にあったのではないだろうか。自分との仲直りは訪れたのだろうか。グループホームでの数年間は、Kさんにとって安らぎのあるときだったのかもしれない。Kさん安らかに。合掌。

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