— 74 —ある時、酒を飲みに行こうと誘われた。僕は、一滴も飲めないからと断ったのだが彼は納得しなかった。「水臭いぞ、付き合え」と。仕方なくつき合うことにした。近くの立ち飲み屋に行った。日雇い仕事を終えた労働者が声高に賑やかに話し合いながら飲んでいた。僕は、サイダーでつき合った。しばらくして気がつくと彼はいなくなっていた。後でわけを聞いたら、僕がサイダーをおかわりして飲んでいるのを見たら気持ち悪くなったのだそうだ。彼は二度と誘うことはなかった。彼は時々酔って絡んでくることがあった。その態度にわざとらしさを感ずることがあった。甘えなのかもしれないと思う。僕はそういうのが苦手でいらいらを抑えながら話を聞いていた。彼は、人に何か配慮するサービス精神のようなものが先にあってその陰に本音を隠しているように僕は感じていた。「ホンネをなぜ言えないんだ…」それが僕をいらつかせるもとだったのだろうか。そんなときにはろくなことにならない。言葉の端々にそんな気持ちが出るのだろう。言葉じりに絡んでケンカになった。僕から謝ることはほとんどなかった。大概は彼が折れたが、僕は相当に依怙地だった。これまで相談に来た人との諍いやケンカも、思い返してみると僕の方にその原因の多くがあった。僕のほうが乱暴だった。「相談をしてやっている」という傲慢さがあったのだった。ある時、Kさんとの言い争いが殴り合いに発展してしまったことがある。お互いに一歩も引かなかった。そのとき、Kさんは「俺のことをそれほど思ってくれるのか」と言ったのだが、痛い思いをしないと分かり合えないのか、と思ったものだった。僕はKさんのことを思ってケンカしたのではない。単に腹が立った勢いでしかなかったのだ。Kさんにはそのように受け取る優しさがあった。Kさんとの付き合いは、断続的に同じようなことを繰り返しながら過ぎて行った。Kさんは、亡くなる5年ほど前に寿から離れた。時々、寿に顔を出した。僕はいつかまた寿に戻るだろう、寿しか彼が住むところはない、と思っていた。だが、彼は戻らなかった。意外だった。瀬谷区のグループホー
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