寿で暮す人々あれこれ
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— 69 —寿で暮らす人々あれこれ世界でこれまで生きてこられたのは飯場という仕組みがあったからだと僕には思えるのだ。昭和30年代、高度経済成長政策の下、農村で暮らす次男・三男の多くが都会に出ていかなくては生きていけなかった時代の宿命を負わされたように、坪井さんも故郷を出て流れるしか生きていくすべはなかったのではないだろうか。坪井さんの様子を見るかぎり、都市での生活や人間関係に馴染むことはなかったのではないか。坪井さんの故郷の風土は、坪井さんのあの一見おどおどした一途な様子を生んだそのものではないかと想像する。もし、故郷に行くことが出来たら多くの坪井さんに出会えるだろうか。僕は坪井さんを「神さま」と思っている。何故そう思うのか自分でもよくわからないのだが。そんな思いが勝手に僕にとりついたようなのだ。坪井さんは、争わない。主張もしない。何もかも自分のせいだ、といっているような様子でいつも引き下がってしまう。生きてゝごめんなさい…とでもいうように。時折見せる泣き笑いのような寂し神さまのひとときのやすらぎ…

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