寿で暮す人々あれこれ
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— 5 —のブログを通じて発信され、そこでは四季の植物、生物が捉えられ写真を活写する短文が添えられています。この地は彼の終の棲家ともなりました。以下、寿福祉センターの50年の活動のあらましを俯瞰的に述べます。寿簡易宿泊所街(通称 寿ドヤ街)とは戦後、焦土と化した横浜市の発展を支えたのは、日雇労働者たちでした。その日雇労働者が住む町が、寿地区簡易宿泊所街です。寿に簡易宿泊所が建てられたのは、昭和31年でした。昭和40年までの10年間で、ドヤの軒数は、約80軒となり人口は、8000人ともいわれていました。この時期は戦後復興の高度経済成長期と重なります。寿ドヤ街は、その経済成長の中で形成された人工的な街といえます。(芹沢勇氏「寿ドヤ街の形成」より)補 記ドヤ街という名称は、差別語だとの指摘があります。その言葉には当時の活動や触れ合いの息づかいがあります。当時の状況を思い浮かべてこの言葉を使用しました。はじめに

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