寿で暮す人々あれこれ
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— 66 —い延喜式についての話しを聞かせてもらったことがあった。いろいろなことを教えてもらった。寿地区の戦後史をまとめているときには、安保条約に関わる多くの示唆をもらったものだった。吉田川、新吉田川を埋め立てて出来た大通り公園の伊勢佐木長者町駅の近くに山桃がなっていることを教えてくれたのも隼人だ。横浜あたりが南限ではないかとも言っていた。早速、保育園児と一緒に山桃を収穫に行った。その山桃は老人クラブの高木会長さんがジャムにしてくれた。ほのかな甘酸っぱさがあった。「寿」の豊かな人脈も懐かしい思い出となってしまった。隼人は自分のことを語ることはほとんどなかった。酔って、あほだら経を謡うことがある。「おんなのパンツを見たのは二人だけ、おれの女房と名古屋のキクちゃん…」キクちゃんて誰?ときいたが適当にあしらわれてしまった。奥さんは亡くなったとどなたからか聞いたことがある。あほだら経の続き。「むらたが種まきゃ隼人が突っつく。お前のしていることは、花は咲けども実はならず…」この野郎、と思うがうまいことを言ものだ。また、来町者を案内している時、隼人に会うと「またガイドか…」と時に冷やかされた。それとなく心にちくりと刺さる心地がしたものであった。隼人は寿の活動にはほとんど参加しなかったけれど、彼の言動から寿地区や日雇労働の問題には関心を寄せていたことが察せられた。保育所のお迎えの時間帯。お母さんたちが待っている時、隼人が地声を響かせてやってきた。誰彼となく話しかける。お母さんたちは、適当にあしらいながらはやととの会話を楽しんでもいる。目に余ってきたので、隼人を外門の三角コーナーの中に閉じ込めた。「むらたが俺をここに閉じ込めた。あわれなはやとにご喜捨を…」とあほだら経をうなりだした。しばらくしてから覗いて見ると、保育所で遊びに使っている砂にまみれたお皿の中に何がしかのお金が入っていた。この喜捨にたいして、僕は「保育所の敷地である。しょば代を寄こせ」と要求した。隼人は「ヤクザみたいなことを言うな。これはおれの稼ぎである」と反論して、しばらく論争を展開したりもした。

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