寿で暮す人々あれこれ
65/189

— 63 —寿で暮らす人々あれこれクを飲み屋、石川町駅、当相談所などに預け、寿にいる間は飲み暮らすのだ。ドヤに泊まることはないようで、人目に付かない場所で野宿しているようである。一度寝ているところを見て声をかけたがとても嫌そうな素振りをした。僕は何か悪いことでもしたような気分になって、そそくさとその場を離れたことがある。以来、声を掛けるのは遠慮するようにした。一日中、缶ビールを片手に大声を発しながら、飲みながら寿を徘徊する。それが1ヶ月以上も続く。よく声もかれず続くものだと思う。保育所にもよく来た。保護者のお母さんたちから、ひやかされたり怒られたりすると顔をくしゃくしゃにして嬉しがった。お母さんや保育者を見ると「おれに、ほれ(惚れ)!」と大声をかける口癖がある。時に保育者のお尻をさっと触れる。その現場をたまたま目撃した。保育者は「はやと!」と叫んで、上気させた顔でにらみつけ、右手をさっと振り上げた。僕は、心中で隼人の頬が音を立てて鳴るのを確信した。残念ながら保育士の手は途中で止まり、そのまま下がってしまった。隼人は照れくさそうに退散していった。寿に居る間、隼人の保育所訪問は、朝に昼に夕に頻繁にある。迷惑ではあるが、隼人は、人に対して微妙な距離感を保っていた。誰におもねることなく、無礼や失礼がないようにしているように僕には思えた。人柄かもしれない。保育者はその絶妙な距離感に苦笑いし、時に腹を立てたりしつつも許容しているところがあった。隼人が仕事にいくと町が静かになる。大げさなようだが祭りの後の気の抜けたような感じがするのだ。隼人の不在が長くなると、保育者は「はやと、どうしているのかなー、悔しいんだけど気になるのよね」と心配するのである。隼人は、博識である。特に歴史には詳しかった。本が好きで仕事から帰ってくる時には、文芸春秋を握っていることがよくあった。出張先の飯場では、お酒は一切飲まないで読書をしている、と一緒に働いたという労働者から聞いたことがある。さまざまな分野のことを知っていた。飲まないで話すことなど極めて珍しいが、相談室で長い雑談になることが何度かあった。何かの必然性があったからか、名前くらいしか知らな

元のページ  ../index.html#65

このブックを見る