寿で暮す人々あれこれ
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— 62 —彼の回復のプロセスは、すべてのアル中さんの回復のサンプルでもある。病気だから症状や回復のプロセスには共通性がある。そして飲まない月日が経るにつれて、依存症の症状に隠れていたひとり一人の個性や人生が見えてくる。それはまた、仲間とともにやめていく回復の豊かさを現してもいる。仲間とやめていくことをソブラエティーというのだが、一人でやめている場合にはそのような変化はなく、回復とは言わないようである。その違いは大きなものだと実感する。さて、依存症者と関わることは、必然的にAAプログラムの理解や活用が必要になるのだが、このプログラムは生き方のプログラムでもあるので誰でも使えるプログラムである。※3 ヤンカラ部隊:寿の中心地は、港湾労働や建設労働等の日雇を紹介する横浜港労働公共職業安定所の広場である。その広場の一角には、一年中焚き火が絶えないところがある。そこは寿の人が言う「ヤンカラ部隊」の溜まり場である。ヤンカラさんは、寿でも「最下層」の人たちと見られていて、ひどいアル中さんも「俺は、ヤンカラじゃねーぞ」と最後の矜持の比較対象とする。でもやがてヤンカラさんの一員になる。ヤンカラさんは主にアル中の人たちである。飲んで焚き火のそばで過ごす。全身灰だらけになる。亡くなる人、火傷する人、病院を脱走してそのままヤンカラさんに加わる人…。ヤンカラ部隊と焚き火は、40有余年続いてきた。「生命の火」とも言われている。僕は、この火は寿のヤンカラさんたちの執念の申し送りのように思えてならない。平成17年11月、長く続いたヤンカラさんたちの焚き火は消えた。職安に来る労働者の自転車置き場に変わった。僕は、寿のひとつの歴史が終わったと感じている。寿の名物人 ─ はやとのことこれぞ、ザ、コトブキ。寿の名物人の第一人者といえるだろう。寿の人たちから、愛されまた疎んじられてもいる「隼人」と呼ばれている人がいた。九州は「かごっま」出身。薩摩隼人である。中肉中背のがっしりした体躯で、南太平洋の島々の酋長の顔を髣髴とさせる愛嬌のある顔立ち。隼人は職人肌ではないが有能な鉄筋工である。出張で働きに行くと数ヶ月は戻らない。戻ってくると、一切合財がつまった大きなリュッ

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