寿で暮す人々あれこれ
63/189

— 61 —寿で暮らす人々あれこれる匡済会が運営する宿所提供施設の南浩生館であった。当時の工藤職員の理解と尽力によって借りることが出来た。後年、横浜グループは365日、午後と夕方のミーティング場を開催する日本で初めてのグループとなる。その後、横浜グループを発信の地としてAAグループは横浜市内、神奈川県下へと広がっていった。最初の回復者があってから1年程後、寿地区を管轄する福祉事務所の対応が変わり、アルコールをやめるためにマックへ通わせる指導をはじめ、交通費も支出するようになった。こうして、AAの方法を活用したマックプログラムで寿の多くのアル中さんが回復していった。 Hさんは、耐性菌を持つ重度の結核を患っていた。 一日三回、毎日ミーティングに出席し続け1年が過ぎた。飲まない生活が落ち着いた頃、結核の治療を再開した。常備の臨時雇いの仕事を選んだ。日雇健康保険に加入している業者を選び、2ヶ月で28枚の印紙を添付し日雇健康保険証を取得した。医療扶助から日雇健康保険の治療に切り替え生活保護を廃止した。結核が完治するまで2年ほど治療を続けた。彼は飲んでいる時は、1年に24回の入退院を繰り返したことがある。病気や怪我の重傷、軽傷を問わず治療は中断の連続だった。この間、当センターの週1回の夜間診療の受付を手伝ってくれた。以前の寿司職人の腕を生かして、時々診療所のスタッフに大きな皿に盛りつけたにぎり寿司を差し入れしてくれた。ある時保証人を頼まれた。アパートに転居し、運送会社に就職した。寿のアルコール依存症者は結核や心臓・肝臓等内臓疾患を併せ持つ人の割合は多いのだが、飲まない生活が続いていると治療は継続する。しかし、他の病気の治療を優先すると、飲酒し治療が中断することがほとんどである。これまでの実践から、アルコールの治療を優先するほうが他の疾病が完治する割合が高いといえる。

元のページ  ../index.html#63

このブックを見る