寿で暮す人々あれこれ
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— 58 —寿のアルコール依存症からの初めての回復者 ─ Hさんのこと寿のアルコール依存症の初めての回復者のHさんのことを書きます。昭和54年6月中旬のある日、ヤンカラ部隊(※3)の一人であるHさんが相談に来た。頬がそげ悄然として痩せた身体を大儀そうに運んできた。分厚いオーバーを着込んでいる。「入院させて」。身体を小刻みに震わせている。禁断症状が出ているのだろう。福祉事務所に電話して相談すると、係長に代わった。案の定、彼のこれまでの経歴をあげつらって受理できないという素っ気ない回答。俗な言葉で言うと、彼は福祉事務所ではブラックリストのそれも上位の一人のようだ。僕も多少彼のことは知っている。ここ5年間ほどは毎月入退院の繰り返し。半端ではない。だから、無理もないよなーと、つい思ってしまう。まてまて、そんなことでは彼はどうなるのだ。僕が福祉事務所の立場になってどうなるのだ。気持ちを奮い起こして根気よく話しを続けた。そして、入院先を確保したら受理しましょう、ということになった。僕の心当たりの病院をあたったが、満床だと断られるか、彼の名前を聞いたあとちょっと間をおいて断られるということが続いた。時には露骨に「その人はだめよ」と即却下され、その人に関わっても無駄よ、と怒られたり。僕の範囲では到底手に負えそうにないので、保健所のSWに相談し病院探しをお願いした。彼のことを僕以上に知っている方だ。親身になって受け止めてくれた。保健所のSWは、横浜、神奈川、東京と関東近県に範囲を広げ探してくれた。3日たっても彼の名前の威光か、受け入れる病院にヒットすることはなかったのである。「見つからないの」と保健所のSWのつらそうな報告が印象に残る。でも、僕の心はなぜか満たされた。さて、相談室に戻る。今日中の入院先の確保は難しい。では、どうする?昨年、台東区の山谷に近い三ノ

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