寿で暮す人々あれこれ
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— 4 —はじめにこの度、社会福祉法人神奈川県匡済会(以下、匡済会と略す)から、僕が寿福祉センター保育所の「クラスだより」に「寿で暮らす人々あれこれ」を、平成18年から同25年までの間毎月書き連ねてきた拙文を、出版していただくことになりました。また、写真集「羅漢たち」─横浜寿町ドヤ街の人々─(著作 大塚洋介)から抜粋して掲載させていただくことを、快く許可していただきましたご伴侶の志澤幸子さんに心から感謝いたします。また、今は亡き無二の親友であり人生の師であった大塚洋介さんに感謝しつつ心から冥福を祈ります。大塚さんについて一言述べたいと思います。大塚さんは昭和51年、40代になって間もなく、写真を撮り続ける悩みを抱えて寿ドヤ街に日雇労働者として住むことになりました。それからの7年間、毎月22日以上の日雇労働を欠かさず、また、いとおしむような自炊も欠かしませんでした。寿での仕事と生活、寿の人たちとの触れ合いの中で、撮ってくれと頼まれた写真が積み重ねられていきました。それが写真集「羅漢たち」に収録された写真です。写真の皆さんは、カメラの方をきちんと見据えています。大塚さんの寿の生活は、写真集「羅漢たち」のまえがきに詳しいので、是非、お読みください。写真も人なり、文も人なりを感じさせてくれます。日雇労働を通じて下水道工事との出会いがありました。大塚さんの都市文明への疑問、批判は、「水洗トイレは嫌じゃ」の一言に集約されているかもしれません。その思いはやがて、標高1000メートルにある小諸の集落にたどり着きました。そこで借家し何年もかけて改造し、なかでもコンポストトイレに力を注ぎ、畑の肥料として無駄を出さない生活の循環を実現していました。彼の生活は、「標高1000メートルに棲む」

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