寿で暮す人々あれこれ
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— 56 —いる。その後、さまざまなセミナーでよくお会いした。お話しする機会も増えていった。R神父の表情が穏やかになるのに相当な年月がかかったように思う。R神父は、薬物依存症者でもあったと知ったのは大分経ってからだった。R神父は、日本やアメリカでの知名度を十分活用して、マックの運営のための財源を主にアメリカの献金を通して支える役割をしていた。また、横浜マックを発足させるときには、寿福祉センターを事務所にしていた横浜マック後援会に神奈川県下からよせられる献金をすべて入金するよう手続きをとって下さった。横浜マック・横浜ダルク・寿アルクなどアルコール・薬物依存症の回復のための活動が横浜市で今日盛んなのは、R神父の理解と協力があったからといえるだろう。また、日本で初めて、薬物依存症からの回復のための施設である「ダルク」を発足させた薬物依存症者の近藤さんを財政的に支えたのもR神父だった。その後の運営と戝政基盤の確立にも力を尽くした。R神父の雰囲気がなんとも柔らかくなり、あるスピーカーミーティングで「僕は日本人が大好きです」とおっしゃったときの笑顔の優しさは忘れられない。こんな一面もあった。バイクに乗って何回か事故を起こしても、ギブスのままでバイクに乗っていた。僕の思う最高のパフォーマンスは、ダルクの便りに同封されていた写真。黒いベスト、黒いサングラス、機関銃を肩に掛けたポーズ。これは、かの有名なランボーではないか。しかしだ…これが神父のすることだろうか。ウソだろう?そう思ったのも一瞬、感動がやってきた。大笑いした。これが回復したR神父であり個性なのだ。人間が他の動物と分かつ大きな特徴のひとつに「ユーモア」があると言われている。彼のユーモアあるいは本気の背後には、アルコール・薬物依存症で自分や周囲を巻き込んできた出口のなかった長い苦しい絶望の人生があったと思わずにはいられない。日本でAAの方法を活用したプログラムが始まってから10年たった昭和60年、M神父はアメリカに戻っていった。AAメンバーたちは、今後に大きな不安と心細さを抱えていたように思えた。僕自身もそうで、今

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