寿で暮す人々あれこれ
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— 55 —寿で暮らす人々あれこれは今から行動する、ということが未来へのすべてなのである。これまで我慢して何ヶ月かやめたことはあるが長続きはしなかった。気がつけば、M神父と歩き始めた日から飲まない生活が続いている。T神父は日本人である。依存症者がAAミーティングで使うハンドブックや家族、医療や福祉関係者向けのブックレットなどT神父が翻訳していた。専門家の翻訳ではなく本人の翻訳は初めてではないだろうか。AAの12ステップなど本人の翻訳と専門家の翻訳を比べて読むとわかるのだが、本人の翻訳の方が平易で分かりやすい。それは自分の体験と仲間の体験が反映されているからだろうと思う。第1ステップは、ある専門家の翻訳では第1階梯となっていた。(現在はAA関連文書についてはJGSOで翻訳されている)三ノ輪マックプログラムや建物についても、アメリカはロサンゼルスに行き、いろいろな施設を調査し見てきた成果であるという。T神父には、こんな逸話がある。神学校時代のこと、T神父が勉強している姿を同期の誰も見たことはなかったが、試験では必ず一番だったという。気さくで普通のおっさんのように気取りない姿からは想像できないことだった。僕は、ずっとT神父がしばらく滞在した北海道のT修道院に行きたい気持ちがあった。時間に遅れ中に入ることはできなかったが、裏門に回り修道士さんにT神父のことを尋ねた。「いらっしゃいましたよ…」僕はそれを確かめられただけで満足だった。R神父 ─ わたし、日本人が嫌いですさて、もう一人、アメリカ人のR神父である。R神父は、当初、少し気難しそうな雰囲気があった。初めてR神父に会ったのは、南多摩の米軍レクレーションセンターでのAAのラウンドアップだった。R神父は、スピーカーに指名された。硬い表情で「わたし、あまり話したくない。日本人あまり好きでありません…」海軍の女性中尉や空軍ジェットパイロットのスピーチが率直で感動的だったので、びっくりしてよく覚えて

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