寿で暮す人々あれこれ
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— 54 —車中はミニーさんとの雑談が楽しく、後に気づくのだが大きな学びであった。大宮レジデンスから三ノ輪マックへの実践は、日本のアルコール問題や依存症の回復にとって歴史的な出来事であったと僕は思っている。M神父の何気ない言葉は、アル中が病気であることを指摘したものだが、印象深い言葉が多かった。そのうちのひとつ。前にも述べたが「心が原因ならば、わたしはアル中毒になっていません。アメリカには心という言葉ありません」M神父は、アルコール依存症の回復のための活動を決意した時から、大阪のT神父をパートナーの一人と考えていた。M神父が大阪へT神父に会いに行った時、T神父は一足違いで北海道のトラピスト修道院へ発った後だった。M神父は、T神父に東京で待っていますとの伝言を残していった。T神父 ─ 受取人がない小包だったT神父は、実はアル中が進行していて、大阪の教会にいられなくなったのだった。何度も同じ説教をする。礼拝をすっぽかしてしまう等々。信徒からの訴えもあって教区ではトラピスト修道院での生活に期待を託してT神父を預けた。しかし、T神父は修道院から逃走した。ヒグマが出るという裏の山々を必死でさまよった。ようやく大阪に舞い戻った時、M神父の伝言が待っていた。大阪にはすでにT神父の居場所はなかった。後日、T神父は「わたしは受取人のない小包のようだった」と述懐していた。T神父は東京でM神父と会った。M神父は、T神父に一緒にやろうと話してすぐその足で「これから仲間に会いにミーティングに行きます」と歩き出した。T神父はへとへとだったが、断る気力も選択もなかった。M神父に従うしかなかった。あの時、断っていたら現在の自分はなかった、と後日述懐していた。「明日からやめる」というのはアル中さんの常套句であるが、明日は永遠に来ないのである。アルコール依存症者に

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