寿で暮す人々あれこれ
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— 51 —寿で暮らす人々あれこれらないアル中が、AA(※1)プログラムを実践して回復に歩みだしたのは昭和54年6月のことであった。以来このプログラムを活用して、寿の多くの単身のアル中さんが回復し社会参加に踏み出していった。やがて、寿だけでなく日本全体に広がりを見せた。アルコール依存症は完治しない進行性の病気であるといわれる。何年飲まないでいても、一杯のアルコールに手を付けると、止めた頃のあの最悪の状態に戻るのである。アルコール依存症者は、もうコントロールして飲むことはできない。しかし、飲まない生活を続け生き方を変えていくことで飲み始めた頃よりも質的に高い生活を実現していけるのである。前置きが長くなったが、アル中が回復する病気であるということを、自らの回復と実践で明らかにしていった3人のカトリック神父のことを書いてみたい。3人の神父は、本物!のアル中である。アメリカ人のM神父は、日本の国立大学の講師でもあった。その間、アルコール依存症が進行し、教壇に立つことができなくなった。教団では、国へ強制的に帰国させることに決定した。東京に向かう途中でM神父は3人の付き添い者をまいた。10日ほど行方不明になった。後に無事に発見され本国でアルコール依存症の施設に入所させられ治療を受けることになった。M神父は、入所当初は一生施設にいたいと願ったそうである。飲まない生活で回復しはじめたM神父は、3年後、日本行きを命ぜられた。依存症になった日本に行くのは嫌だったという。先行く仲間のスポンサーに相談したら、日本へ行くことは飲まない生活の力になるだろうとのアドバイスを受けたという。日本に来てお酒を飲まない生活を続けるには、飲まないで生活している仲間たちとのミーティングに出席する必要があった。「AA」のミーティング場を探した。東京タワーに外国人を中心にしたグループがあった。あとは米軍基地(横田、座間、横須賀)のミーティングだった。それらに通いながら、自分の生活圏の中に新たにミーティング場を作る活動をはじめた。ミーティングをするには、仲間が必要である。日本のアル中

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