寿で暮す人々あれこれ
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— 48 —3回の更新を済ませた。ドヤで3年ほど生活していたから、間もなく出所後10年を迎えることになる。二人でささやかにお祝いしようか。老人クラブ寿檪の会 中興の祖 ─ 高木さん逝くこの10月に高木さんが亡くなった。86歳だった。寿地区内外に「老人クラブ寿檪の会」ありと名実ともに知らしめたのは、四代目会長の高木さんだった。豊かな眉毛が八の字に垂れ下がって、おっとりとした福顔を作っていた。人柄は育ちの良さを感じさせた。老人とは何かをしてもらう存在というイメージがあるものだが、高木さんは、寿地区のさまざまな団体の活動に、老人クラブが手助けに出向くという発想で積極的に取り組んでいった。行政にも働きかけ老人クラブの活動を幅広くしていった。ドヤの管理人さんに協力を頼んでのビンやアルミ缶の回収、他の地域へ拡げた衣類の集配とバザーの開催など地区の協力者の掘り起こし、地区外の方々との関係も広げ老人クラブの活動資金を生み出していった。クラブ活動の最中に高木さんは、そばやうどんを打ち、出汁を作って、クラブ員に昼食を提供した。食事は人間関係をつくるのに大切だという考え方だった。寿夏まつりの準備をする人たちにもソーメンを用意して提供した。老人クラブの活動には、寿地区外の方々も参加しさまざまな人たちの輪ができた。老人クラブの場は、寿地区で活動する人たちにとっても楽しいサロンとなった。。老人クラブ発足以来、福祉センターの2階の娯楽室が老人クラブの活動の場に名実ともになったのは、高木さんたちが起こした活動からだった。参加したおじいちゃん、おばあちゃんたちも一人ひとりが生き生きとしていた。

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