寿で暮す人々あれこれ
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— 47 —寿で暮らす人々あれこれたと。朝、顔を洗う時、水を洗面器に入れ、蛇口をしめて顔を洗う決まりになっているそうである。彼は、水道を流しっぱなしにして顔を洗った。担当官から叱声を受けた。そこで一言「いいじゃネエか」担当抗弁ということで即独房行き。その後、事実確認の事情聴取があり自己弁護の機会が与えられる。そこで率直に反省し謝れば独房から開放されるのだそうだが、思いとは裏腹に口をついて出る言葉は「そのくらいいいじゃネエか」。再度独房。そんなわけで、彼は、刑期の満期まで勤めることが多くなってしまうのだ。彼の生活は、一言多いことで自らが苦しむという結果の連続だったのだろうか。出所後1年、記念に二人でカツ丼を食べて祝った。3年が経過。トレーナーをプレゼント。「刑務所に戻らないでこんな長く生活するとは思いもしなかったよ」と述懐していた。体調は更に悪化。大腿骨骨頭壊死で手術。杖と補そう具が手放せなくなった。身障者デイケアに入所。土、日を除いて通う生活となった。5年経過。人との付き合いづらさは変わらない。お酒を覚えた。こんな楽しい生活は始めてと言った。間もなく、お酒のトラブルを頻繁に起こすようになった。警察が関与する事件にもなった。しかし、刑務所に戻るようなことには至らなかった。それは、寿での生活で彼が獲得した変化といえるのだろうか。お酒をやめるグループに参加したが、話し、付き合うことが苦手だから、断続的な参加だった。それでも、お酒に起因するトラブルがなくなりはしないが小さくなってきた。また、身障者デイケアを何度も辞めたいと言ってきていたが、デイケアの職員のサポートもあって何とか続いている。親しい仲間や付き合いのひろがりはほとんどないが、寿には、彼が大切にしたい生活が作られてきているのだろう。彼が心を寄せ信頼する医師、受付の優しい事務員、彼が通う作業所の職員と少しずつ増えていった。自分との折り合いは相変わらずつかなくて苦しんでいるようだが、風呂付の4畳半の部屋での生活は続いている。2年に1回アパートの保証人の更新がある。そのたびに僕のところに書類を持ってくる。今年で、

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