寿で暮す人々あれこれ
48/189

— 46 —神さんは、姉の霊を慰めたいと老人クラブの仲間に相談してささやかな慰霊の集いを開いた。集いが終わって、宇賀神さんは「これで気がすんだ」としみじみと話した。一言多いんだよな… ─ 中村さんのこと横浜保護観察所の保護監察官から「満期出所者の居住地を寿に定めたい…」との相談。強盗の重なる累犯で16年間にわたり刑務所と社会と行ったりきたり。社会の暮らしは長くても3か月。一番短いのは1日、対人関係が下手で仕事が続かないとのことである。心当たりのドヤの帳場さんに相談した。中村さんの釈放の時、横浜刑務所に迎えに出向く。寿での生活が始まる。福祉事務所で生活保護申請をする。毎日といってよいほど相談室に来所。つかえつかえ話しをする。他の来所者が来るとすっと帰っていく。他の人がいると嫌なのだという。何ヶ月か経った頃のことだった。横浜球場で夏の甲子園大会出場の神奈川県大会予選が行われていた。野球が好きで見たかったのだが、入場料が見当つかず怖くて聞けず入場できなかったという。隔離された刑務所暮らしの中でお金の価値がすっかりわからなくなっていたのだった。目がよく見えないと相談。福祉のSWに相談し眼鏡を作る。かなり悪化していた。その他いろんな病気が出てきてその治療におわれる。長い刑務所での生活が身体を蝕んでいたのだろうか。刑務所に入ることになった事件は、ほとんど無銭飲食で、それだけなら刑はそう重くはないのだが、逃げようとしたり、言い争ううちに相手を傷つけて強盗傷害になってしまったそうである。「逃げないで、口答えしないで謝ればそんなことはなかったのだろうけれど。おれは、どうも一言多いんだ」刑務所でもそうだっ

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る