寿で暮す人々あれこれ
46/189

— 44 —戦後、復員して横田飛行場の造成に従事した。その時に、宿舎で大事にしていたボストンバックを盗られた。その中には、自分の出生を証明する書類も入っていた。宇賀神さんは「戸籍のない者は、警察に見つかったら処罰される。何とか警察に捕まらないようにしなければならない。悪いことは絶対しない」と思い定めた。隠れて息を詰めるような生活、それが宇賀神さんの生活の最大の信条と課題となった。初めて会った頃の極度に人を警戒する様子にはそんな事情が隠されていたのだ。宇賀神さんの人目を避け、警戒する生活は延々と続いていたのだった。戸籍については就籍の手続きをすることにして、生活保護の手続きをするよう援助。生活に落ち着きが戻ってきた。宇賀神さんに話を聞きながら、家庭裁判所への就籍の手続きをすませた。宇賀神さんは、字を読むことも書くこともできなかったので、本籍なども記録に残す術もなく記憶が薄れるに任せるしかなかった。暫らくして、裁判所から本籍地がわかったと知らせが届いた。裁判所では、就籍の記載事項を調査する中で、文中にある「…戦争中、アッツ島に向かう船に乗っていて米軍の攻撃にあい船は沈没。救助された経験…」との記載を基に厚生省に問い合わせたところ、宇賀神さんの「海軍工員名簿」が見つかったのである。名簿には、土工として召集されたこと、本籍、経歴など細かく記載されていた。(※昭和53年、匡済会の福祉紀要7・8合併号に記載)本籍地より、戸籍を取り寄せ異動届を済ませた。宇賀神さんは、本籍の所在については少し覚えがあったが、父母の名前の記憶はなかった。姉の名前は覚えていた。何よりも、宇賀神さんがびっくりしたのは、戸籍に書かれていた自分の生年月日が、思っていたより10年若かったということであった。宇賀神さんは、姉の夢を時々見ていたという。姉は、戸籍の記載で亡くなっていたことがわかった。宇賀

元のページ  ../index.html#46

このブックを見る