— 41 —寿で暮らす人々あれこれ僕は、帳場さんに聞くことにした。帳場さんは、跡部さんの部屋まで案内してくれた。部屋のドアを開けると、ゴミ?の山が部屋の高さの半分くらい積もっている。跡部さんはその上で寝ているのだ。数ヶ月前に前任の帳場さんと代わったばかりの帳場さんは「片付けてくれるならこのまま泊まっていてもいいよ」と言った。僕は、帳場さんの言うのも無理からぬこととおもって、跡部さんに部屋に戻ってもらって、手伝うからと片付けるように説得した。跡部さんは、嫌がっていたがしぶしぶ頷いた。片付け始めて「これ必要?」と聞くと聞くものすべて必要と頷く。これではほとんど片付かないと思って、跡部さんには相談室に戻ってもらって、知り合いの労働者に手伝ってもらって片付けを続けた。下着等の衣類は、黄ばんで中には掴むとポロポロと崩れるものもあった。お弁当箱もいくつか出てきた。マッチの軸が一杯つまっていたり、電池が入っていたり、ごはんが入っていたものはヘドロになっていたが、不思議に臭いがなかった。新聞紙や雑誌、写真、日常雑器、衣類等々…。多分、必要と思われるものを最小限残して、後は処分することにした。ひとつひとつ確かめて片付け始めて2時間ほど、ようやく畳が見えた。畳は、からっとしていてきれいだった。跡部さんは、これからもこの部屋で暮らすこととなった。翌日、跡部さんは、お礼を言いにきた。どことなく元気がないのが気になった。それ以後、跡部さんの「あの部屋」のことがずっと気にかかっていた。僕にとってゴミと見えたものは、跡部さんにとっては、10数年の生活の証そのものだったのではないか。清潔にするということは、場合によっては人の生活を始末し否定することになるのではないか…。跡部さんのことを思い出すたびに、今でも胸が騒ぎ、痛む。跡部さんの部屋と10数年間付き合っていただろう前の帳場さんのことが、しきりに思われる。
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