寿で暮す人々あれこれ
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— 40 —おおお…」というくらいである。10年ほどがたったある日、子安さんは、帰るときに「お、お、おいしかったよ…」と言った。近くのおじいちゃんもびっくりしていた。それから、子安さんと一言、二言の言葉が交わせるようになった。ある日、会食の案内を届けに行った。めずらしく在室だった。例のごとく素っ裸で胡坐をかいている。競輪の予想紙と、ちびた鉛筆が扇状に並べて置いてあった。「やるんですか」と語りかけた。「お、お、お…俺に聞けばだいたい当たるよ、どうだ?」と誘われた。子安さんの生活から、その言葉を真に受けることはちょっと無理というものである。ある春の昼下がり、伊勢佐木町商店街の花壇の傍らに子安さんが例の格好で座っていた。声をかけるために、そっと近づいていくと、呟きが聞えた。「テメエ、コノャロ、ブッコロスゾ…」声を掛けそびれた。子安さんの顔は、その言葉とは裏腹に穏やかにみえた。ゴミとともに生活 ─ 跡部さんのこと跡部さんが相談に見えた。ビン底のような分厚いレンズの眼鏡を掛けている。相談は「部屋を出て行ってくれといわれて困っている」ということだった。もう10数年暮らしている部屋で、そうおいそれと出て行くというわけには行かない。ドヤは簡易宿泊所で旅館業法という法律で運用されいるので、10年住んでいても、毎日がチェックイン、チェックアウトの繰り返しとみなされて、居住権が発生しない仕組みとなっている。跡部さんに、どうして出されるようなことになったのか、理由を尋ねてもはっきりしない。

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