寿で暮す人々あれこれ
4/189

— 2 —「寿で暮らす人あれこれ」発刊によせて村田由夫さんは、昭和43年、社会福祉法人神奈川県匡済会の職員として、新たに開所した寿福祉センターに入社されました。昭和43年といえば、わが国の高度経済成長の最盛期でしたが、日本を代表する港横浜の港湾業務は、日雇い労働者によって支えられていました。寿町は屈強な男達が仕事を終え、酒とたばこと博打が身近な生活の場でした。怖くて普通の人々が足を踏み入れにくい地域でもありました。地区の人口は約8000人、多くは単身の男性でしたが、子供のいる世帯が550世帯、乳幼児が1000人以上いたようです。ドヤに住む彼らにはセーフティーネットが無いので、収入不安定、健康面、衛生面、アルコールや薬物依存、子供の養育など様々な問題が山積みになっていました。20代前半でこれら社会の不条理に出会った村田さんの心情はきっと複雑だったことでしょう。それから52年後の現在、寿町はどうなっているでしょうか。2019年に横浜市寿町健康福祉交流センターと、匡済会の寿福祉センター保育所があいついで完成し町並みは随分明るく新しくなりました。50年前にドヤの子供達が通っていた保育所は、今は地域外から来る子供達の為の施設になりました。そのお隣には、匡済会が運営する横浜市生活自立支援施設「はまかぜ」が建っており、ホームレスや生活困窮者の自立支援の仕事をしています。寿地域の簡易宿泊所に居住する人は2019年の調査において5716人となり、その中で65才以上の人口比率は55・4%と大変高率です。横浜市全体の比率は24・2%ですからその違いに驚かされます。この半世紀でこの街は随分と変わりました。しかし当時とはまた別の様々な問題があるのです。村田さんは、五十有余年にわたり寿地域の人々と関わり、ここで暮らす多くの人々に対し様々な貢献をしてこられました。どんな人とお付き合いしたのか、どんな思いでどう関わったのか、ぜひ記録に残して欲し

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る