寿で暮す人々あれこれ
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— 36 —日中座り続けていることもある。日が経つにつれて、橋村さんの顔から笑顔が消えて、無表情になっていく。顔が汚れていく。あるとき、わき腹に手を当てて「手当てして」と来たことがあった。傷口には蛆がわいている。応急処置をして救急車を要請する。橋村さんの寿の滞在は、短くて1ヶ月ほど、長くて3ヶ月ほど。時に相談室に這ってきて「入院させてくれ」という時もある。橋村さんは、寿でどんな生活をしているのだろう。考えてみてもよくわからない。ドヤは借りているようだが居住している様子はない。戸外で寝ているようなのだが詳しいことはわからない。なぜ知らないままに過ごしてきたのだろう、改めて考えてみてもよくわからない。橋村さんが注意深く知られないようにしていたのかもしれない。橋村さんの状況が、生活のコントロールを失っているように見えても、命のコントロールは、ぎりぎりのところで保持しているように思える。ともかく、命の瀬戸際に助けを求めることができるのだから。そのひとつに寿福祉センター相談室があるのだろう。橋村さんは、年2~3回ほど精神病院と寿を行き来する。寿だからこそ生きてきたといえるだろう。橋村さんのこの生き方と姿は、生活と言えるかどうかわからない。でも、僕は、寿は橋村さんの選択であり生き方だと思っている。わがまま!? わが、まま!? ─ 中西さんのこと

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