寿で暮す人々あれこれ
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— 34 —が一番幸せ」と笑顔。チヨさんは、強制連行された朝鮮人と結婚した。子どもが二人生まれた。戦後しばらくして夫は朝鮮へ戻る決意を語った。チヨさんは、迷った末、日本にとどまる道を選んだ。苦労して子ども二人を育てた。子どもが成人し独立していったが、一人暮らしを選んだ。寿での生活が落ち着いたチヨさんは、老人クラブに加入した。チヨさんはすぐ老人クラブの活動に馴染んでいった。送られてくる衣類を整理して定期的にバザーで売ること。ビンやアルミ缶の回収、広報の配布、近隣の駅の煙草の吸殻の片付けや公園の清掃、寿の他団体の活動の手助けなど老人クラブの活動が楽しくてならない様子。朝5時頃から職安広場に立つ。仕事に行く人、探す人でにぎやか。缶ビールを飲んでいる人のそばで待つ。「ばあちゃん、待たれちゃまずくなる」「背後霊みたいだな」と労働者と親しくなっていった。わざわざ待っていて「はいよ」と手渡してくれる人も。寿にすっかり馴染んだチヨさんは、ある日こんなことを漏らした。「少しずつ体が動かなくなってきて、自力で生活できるか不安。老人ホームに入る申込をしようと考えているの」そんなことを聞いてから、1年半ほどたった頃、チヨさんは、嬉しそうに老人ホームに入所が決まったと伝えてくれた。入所の日を間じかにしたある日、チヨさんは突然いなくなった。クラブの人たちもあちこち探したがチヨさんは見つからなかった。あれから3年、ある日、寿でチヨさんとぱったり出会った。「どうしていたの…」チヨさんは照れ笑いを浮かべてこれまでのことを話してくれた。入所が決まって予防接種をすることになったのだという。チヨさんは注射が苦手で針先を見ると気絶しちゃうんだそうだ。それで逃げたんだという。「エッ」と思わず絶句してしまった。山谷で3ヶ月生活。山谷では「女の一人暮らしは厳しくて続かないわ」と言った。山谷を出て放浪生活に。山梨の石和あたりで行

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