— 182 —という高齢の穏やかな語り部のような事務員の方がいらして、仕事の合間に宿泊している方々の人となりを話してくれました。これまでの僕の人生では、想像もできない人生と人物像でした。その話は、一人ひとりの個性がくっきりとわかりやすく、またひとり一人に親しみを感じさせてくれるのでした。僕が、福祉センターで働くことになるきっかけは、川崎宿泊所に、匡済会から、福祉紀要の復刊のため論文募集の案内が送られてきたことで、僕は応募し宿泊所の労働者にアンケート協力をいただき「川崎における底辺労働者の実態」というレポートをまとめました。やがて、年明け早々に匡済会の芹沢常務理事から、「寿福祉センターが開所するので、来ないか」とお誘いを受けたのでした。匡済会と出合い、寿ドヤ街に出会い、寿で暮らす人々と出合い、半世紀になりました。50年の間に、法人の役員も変わりました、本部のスタッフも変わりました。しかし、寿での仕事の基本は、全く変わることはありませんでした。より積極的に支援してくださいました。僕の仕事の姿勢が大きく変わった時がありました。一言でいえば、寿の人に「何かをしてあげる」という目線から「させていただいているのだ」への変化です。肩の荷が下り開放感を味わいました。寿の人々がより身近に感じられ、生きる力を貰っていることに気づかされました。寿での50年を振り返ると、その節目に運命的とも言えるような出会いがありました。それに支えられて今があると思います。また、10年前に、匡済会の大きな変化の時代がありました。法人による匡済会の歴史と基本理念の再発掘です。寿で働くことは法人の理念の原点でもあるとの気づきを与えられました。これまで、寿の地域と人のかかわりの中で課題や問題を見つけ夢中で活動してきました。それ自体が、匡済会にとって十分に意義があることだったのでした。このたびの発刊は法人の提案でした。渡邊理事長、上野常務理事のご厚意に感謝申し上げます。日本では唯一の施設で働き続けてこられた喜びは言葉ではあらわせません。そして寿で暮らす名もなく心優しい人々から生きる力を与えて頂いたことに唯感謝!
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