寿で暮す人々あれこれ
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— 180 —僕のこと寿地区簡易宿泊所街で働きたい、とはっきりと希望を抱いてから2年後に、望外にも、一度はあきらめた寿ドヤ街で働けることになったのでした。縁というものを感じました。さて、僕の子ども時代は、今思うと母に心配をかけっぱなしでした。近所の家の窓ガラスを手製のパチンコの的にして割ってしまったこと、これも近所の庭の池に飛び込んで、金魚など土の上にかき出してしまったこと、我が家の箪笥の棹を持ち出して近所の池でボート遊びをして沈めてしまったことなど枚挙にいとまがありません。後で父と母が謝りに行ったとは、大きくなってからの思い出話に兄弟から聞いて知ったことでした。小学生時代は、宿題など一度もやった記憶はなく、そのため、よく罰当番として放課後は教室の掃除をやらされていました。母に、勉強しろと言われたことは記憶にないのです。一日に3回、どぶ川に落ちたことがありました。学校から帰りカバン毎年園児と寿地区を竹馬パレードしました

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