寿で暮す人々あれこれ
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— 177 —寿で暮らす人々あれこれことに意味があると思います。法務省は、再犯率が高い薬物依存症者の対策のため、暴力団取締や「違法な薬物使用者」の逮捕等司法や警察の取り締まりの強化という治安維持に重点を置いてきました。法務省は「薬を打つより、ホームランを打て」などという意味不明なポスターをつくり全国的なキャンペーンを繰り広げたことがありました。依存症者の意志や覚悟、気持ちに働きかける説教調の対策から、遅まきながら依存症者の回復に力を注ぐように変わってきているように思えます。回復につながる回路を多様化していくことは、遠回りにみえて確実に再犯する件数は減ると思います。私見ですが、薬物依存症者本人が依存の治療に向かう契機の一つに、逮捕されたときがあります。早い時期に依存症の治療と回復のプログラムを知らせ、義務として、治療プログラムを受けさせることです。拘置期間が長くなるほど、依存症者の耳は受け入れがたくなり動機づけの機会を逃すことになります。さて、近藤さんは、札幌MACにつながり薬をやめることになりました。やがて、三ノ輪マックのスタッフとして働き始めました。寿にもメッセージに時々来ていました。近藤さんが、ダルクの施設(ナイトケア)を開設した理由は、当時、アメリカでも薬物依存症者の回復、社会参加は難しいといわれていました。もとより、日本にも薬物依存症者のデイケアはありませんでした。「自分は薬物依存症だが、回復の途上にある。社会参加できないはずはない、その証明のためにもアルコール依存症のように薬物依存症者の施設がほしい」と願っていました。昭和60年、木造のアパートを借り念願のグループホーム「東京ダルク(以下、ダルクと略す)」を開設しました。近藤さんの話しで印象に残っていることがあります。開設した当時は、マックと同じように門限を10時と定めました。しかし、ダルクでは、誰も門限を守る人はいませんでした。守らせようとする近藤さんと入所者の間に緊張関係が生まれました。イライラした近藤さんは、薬をやりたくなっている自分に気が付きました。そして、自分のために門限をなくしたのです。しばらくするとみんなは、思い思いに生活を作り

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