寿で暮す人々あれこれ
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— 174 —AAの12ステップを吸収し理解していきました。この頃は、専門家や専門書からではなく、アルコール依存症者の回復の具体的な姿やミーティングからアルコール依存症を体得し理解していきました。心の病という漠然とした捉え方から、病気からの回復や病気の再発(再飲酒)という捉え方をすることで、援助職達はいつまで飲まない生活を続けられるのか、いつ飲むのかと一喜一憂していたことから解放されていきました。横浜グループのメンバーも増え、毎年、横浜グループのステップセミナーが開催され、関係者の参加者も増えていきました。マックも利用者が飛躍的に増えていました。横浜グループのミーティングも毎日開かれるようになってきました。横浜グループでは、会食ミーティングが開催されるようになりました。これからお酒をやめようという仲間たちは、栄養不良や体の衰弱、外食するお金にも事欠いています。料理の得意な仲間が食事を作り月に1回会食ミーティングを開催、夕食を食べながらのミーティングです。場所は、寿福祉センター保育所のホールです。寿福祉センターでは月2回、老人会食を実施していたので調理室がありました。昭和58年、横浜グループのメンバーは、横浜にもマックと同じ施設がほしいと望みました。マックまで通えない仲間もいる、というのが大きな理由でした。横浜グループの有志とともに、ミニーさんに横浜にマックがほしい、手助けしてほしいと相談しお願いしました。ミニーさんは「マックには、経済的にも人的にも余裕がありません。プログラムは提供します。自分たち作ってください」と言われました。横浜グループのメンバーと関わってきた関係者たちで話し合い、横浜にもマック、が必要との考えではすぐに一致しました。運営費をどうするかが問題でした。職員の人件費や家賃などの責任は持てないが、運営資金を集める活動ならできる、ということになりました。横浜グループの有志と話し合いグループホームを作ろうということになりました。その母体としての「横浜マック後援会」を発足させ、寿福祉センターに事

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