寿で暮す人々あれこれ
174/189

— 172 —横浜グループのメンバーも着実に増え、援助職のネットワークも広がってきました。このメンバーたちは、単に、援助をするというのでなく、活動の中で自分の生き方をとらえなおしたい、今風でいうなら自分探しをテーマとして大切にしていました。プロセミの集いとセミナーの企画は、自分たちにとっても楽しいものでした。依存症者のスピーチに不思議な心地よさに揺さぶられながら、どんな地平に出るのだろうかと先を見据えていました。寿での第1回ステップセミナーの開催昭和55年3月、横浜グループ主催の第1回ステップセミナーが、寿の近くの県立勤労会館(現Lプラザ)で2日間にわたり、東京とその近郊のAAグループのメンバーの参加と協力を得て開催されました。その後セミナーは今日まで毎年開催されています。この年の5月以降、マックに通うメンバーが爆発的に増えました。その理由はわかりません。当センターに相談に来た人にマックプログラムを勧めた件数は、55年、56年の2年間で100人を超えました。マックを紹介し行くことに同意したすべての方に、当センターの援護費を適用して通ってもらいました。そうしたのには理由がありました。これまで回復の可能性のある人、なさそうな人となんとなくわけていましたが、僕の予測はことごとく外れました。希望があると思った人は回復につながらず、逆に無理だろうと思った人が回復していきました。そんなわけで、僕の判断で選択することをやめることにしたのです。この経験は、多くの援助職の方と共通するものでした。以前、ミニーさんがおっしゃっていることを思い出しました。「回復はミーティングでうまく話そうとするのではなく、正直に話すことが大事です」と。自分を顧みても、正直に話すと心が軽くなりました。しかし正直に話すことは案外難

元のページ  ../index.html#174

このブックを見る