寿で暮す人々あれこれ
17/189

— 15 —卓集計からパソコンでの集計など精度もスピードも向上しました。集計が終わったあとは、寿のことなど様々に語り合いアル中さんも飛び入りで参加したり、港の新年をつげる汽笛で調査を終えることが通年となりました。地域や行政から調査結果の問い合せもあるようになりました。平成15年3月、隣保事業の終了ののち、調査は横浜市寿福祉プラザ相談室に引き継がれました。アルコール問題の取り組み寿の大きな問題の一つはアルコール問題でした。生活保護の開始と廃止、入退院の繰り返し、救急車の利用頻度の多さ、病死、事故死の原因など関係者の努力にかかわらず「更生」する人はほとんど見られませんでした。アルコールに費やされる福祉、保健、医療の分野の人的資源と費用は正確には把握されていませんが、膨大になるでしょう。寿福祉センターの相談室にも多くの依存症者が訪れ様々な対応を模索していましたが、症状は悪化していくばかりでした。相談を始めて10年目、昭和53年3月、アルコール依存症から「回復」したアメリカ人のカトリック神父、ジャン・ミニー氏が来所、アルコールリハビリセンター「三ノ輪マック」(以下マックと略す)の回復プログラムとそのベースであるAA(アルコホーリクス・アノニマスの略)を紹介してくれました。マックの見学、AAミーティングへの出席を重ね、寿のアルコール依存症者にすすめるようになりました。昭和54年6月、絶望と言われていた寿の単身アルコール依存症者が回復していきました。関係者には驚愕的な出来事で、高い関心を集めることになり「更生」から「回復」へと見方が変わる契機になりました。以後、着実に回復者が増え、昭和54年9月、寿の依存症者によるAA横浜グループが作られ、初めてのミーティングが匡済会の運営する宿所提供施設 南浩生館で始められました。平成4年8月、約40団体80人ほどの方が参加し、任意団体市民の会寿アルクが発足しました。はじめに

元のページ  ../index.html#17

このブックを見る