寿で暮す人々あれこれ
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— 167 —寿で暮らす人々あれこれもかからないで限りなく下降していく人たちが存在します。今までの僕は、そういう人たちに否定的であるとともに、一方で否応もなく魅かれるものを感じていました。今、寿で暮らす人に対してどんな解釈も断定も追いつかない、それはあまり意味がないと感じるようになりました。僕には想像も予想もつかない人間像です。そんな人間が存在し生きているとはなんて素晴らしいのだろう。人間として生きる勇気や力をもらえます。潤いや癒しでもあると感じるのです。 人の生き方に対してこうしなければならぬということなど何もないことを寿で暮らす人たちから感じさせていただきました。僕の敬愛する人の言葉。「人間は、自分の為だけにしか生きられない」、折に触れ思い返す言葉です。寿の人々の生き方に重なると思います。「人を変えることはできないけれど自分は変わることが出来る…」その逆を僕はずっとやってきていたのです。しんどいものですよ。気取らぬ自然体 ─ 山本さんのこと山本さんは、三ノ輪マックの開設時の職員でアルコール依存症者本人です。昭和53年7月に、J・ミニーさんから寿福祉センターに派遣され、毎週水曜日に通ってきました。福祉センターで三ノ輪マックをすすめる相談を始めて間もなくの頃でした。その相談の支援と山本さんの成長を願ってのことと推察しました。ミニーさん曰く、「一番優秀な人です」それには別の意味もあり、ミニーさん流では「一番重症な」でもありました。山本さんは、昭和50年、ミニーさんが開設した大宮駅近郷の「大宮レジデンス」(通称大宮ハウス)に入寮し回復していった初期のメンバーの一人でした。山本さんのアル中の頃の話、飲み代もなくなり、アパートの部屋の蛍光灯を質屋へ持ってい

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