— 164 —寿讃歌、人間賛歌…寿地区は戦後の経済成長のもとで人為的に作られた特異な「街」です。そして度々触れるように移動人口で維持されてきた「街」です。その移動にはその社会的な背景があるのですが、僕はいつのころからか、その社会的背景への関心から、流されてきた個人の「生き様」に惹きつけられるようになりました。「個」についての記録は、主に相談票に記録してきました。しかし、地域の中で相談を受けたり、急病や行き倒れなど事故に遭遇し対応に追われたりしたこと、様々な地域活動や人間関係のほんどは、それらを記録することもなくそのすべも持たずに過ごしてきました。寿で働く相談員は皆そのようでした。ある時、寿生活館の職員が街中でノートに記録している姿を見ました。僕ははっとさせられ、今その出来事を記録する必要があることに気づかされました。今を記録することは、自分の活動の記録であり、寿地区の記録でもあるでしょう。それから僕は、できるだけノートを持ち歩きどんな時でもすぐに記録するように心掛けました。相談票の様式は、地域の中で活動しながら記録するには不向きですし、のちに記録するうえでも案外と不自由なものでした。それからの僕は、文字に頼ってきた記録以外に、カメラで記録する、録音で記録するなど色々な方法を通して表現することをしてきました。そうしてきたのには、寿の事を分かりやすく社会に伝えることを意識していたからでした。それは、相談室に座っているだけではたぶん思い至らなかったことだと思います。そんな実践の中で、どうしても伝えられないことがあることに気づかされました。それは、その人が発する「におい」、身体の、部屋の「におい」だけはどうしても人に伝えられないのです。「におい」は、一般化したりできないその時だけのもの。この「におい」を受け止めることは、その人のありのままを受け止め、その瞬間の生を共にすることであると思うのです。「におい」はその人の生活や生き様そのものではないでしょうか。単なる「におい」として「くさい」の一言で済まされないその人の人生があると思うのです。
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