— 161 —寿で暮らす人々あれこれ寿の共同墓地 千秋の丘で…横浜市の北西部に位置する青葉区の恩田地区に、真言宗の名刹「徳恩寺」があります。JRこどもの国線の終点「こどもの国」駅のひとつ手前の恩田駅です。寿とこの徳恩寺がどんなご縁で結ばれたのか…。僕は詳しいことは知らないのです。これまで何かの折に断片的に聞いたことが、順序立てることなく切れ切れに記憶に残っているだけなのです。そのことを少し書きます。僕が寿に来た昭和43年頃、日雇労働者とその家族が住む活気あふれた町でした。以前触れたNさんの友だちOさんが部屋でなくなり、寿の葬儀に長い関わりのあるF葬儀社に引き取られていきました。ちょうどその頃、寿は昭和48年のオイルショック後の数年にわたる「仕事よこせ運動」の最中にありました。Nさんは、友人の死を知り、今どうなっているか探してと、僕や横浜市寿生活館の職員に頼みにきました。その結果がF葬儀社でした。しかし、そこから先が問題になりました。「死因」が不明ということで、行政解剖のために横浜市大病院に運ばれた、ということが判りました。僕は致し方ないことだと納得していました。しかし、Nさんは「解剖させるのは嫌だ。自分がそうされると思うといたたまれない」というのでした。なんとか寿で葬儀をしたいと言って納得しません。Nさんと友人、僕、寿生活館の職員の加藤さんとで、横浜市大病院付属の解剖が行われる大学施設へ駆けつけました。施設の中までは入れたのですが、Nさんの願いはかないませんでした。Nさんは解剖室の入口で涙を浮かべ「かえせ!」と叫んでいました。その日、Nさんは大荒れに荒れました。(NさんはP76 死してやすらか─その2の人です)同じ頃、寿では、仕事がなく路上で凍死する人たちのことが大きな問題になっていました。寿で初めての
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