寿で暮す人々あれこれ
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— 157 —寿で暮らす人々あれこれもたちや600人を超す女性(お母さんたち)の問題はどう取り組めるのか、期待と不安がありました。商店主、管理人、労働者の立場の違いは話し合いの中でときに微妙に、時に激しくぶつかります。そんな緊張を内にはらみながら、発会式も目前となりました。「俺はやめる、そんなこと(決定)は聞いていない、あいつの発言は気に入らない」等々誤解や行き違いはよくあって、そのたびに行ったり来たりしました。自治会を作ろうと集まった初対面の人も多かったのですから致し方ありません。僕は、調整に往生することはよくありました。そんな時の寿生活館の相談員の谷川さんの対応に学ばせられました。トラブルや誤解を聞いたり察知したりすると、必ずその日のうちに双方の話を聞き対応していました。そんな時、僕に声をかけ必ず誘ってくれました。時間を惜しまず冷静に行動していました。その誠実で、大胆な姿勢は忘れられません。活動の多くはそんな誤解や行き違いの連続でしたが、それが解けた後は、お互いの理解が広がりました。さて、発会まで1か月を残すのみとなりました。役員と役職の決定、活動予算、活動方針などの話し合いのほか、発会式のお知らせのチラシ、発会式の当日の進行プログラム、発会宣言の作成など準備しなくてはならないことは目白押し。もう臨戦態勢です。僕は2週間ほどドヤに泊り込みました。当時の僕は、高ぶる気持ちを抑えきれずに、留学している親しい友人に「歴史に立ち会っているようだ」と手紙を書きました。発会式の一応の準備は整いました。明日を待つだけ。天気は良さそうです。発会式とその後の活動昭和44年4月13日(日) 発会式当日です。天気は晴朗。職安の広場に人は少なく閑散としていました。

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