寿で暮す人々あれこれ
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— 156 —等と理解しあいながら活動を進めていこうという考え方。他方、労働者は、ドヤ居住と日雇制度の問題の改善や解決を求めていました。時には相容れない対立が生じたらどうなるのか、また、日中の継続的な会議の参加は日雇労働者には難しいことです。欠席している間に決まったことについて、承服できないこともあります。真剣だからこそ争いも生じました。会議に出席した人としない人の溝を何とか埋め、理解しあえるように努めました。不安に思っていた問題が起ました。商店主、管理人、労働者たちは、その立場によって利害が違うことで活動から退く人もでてきました。ここで二つの選択肢がありました。結成は時期尚早だから結成を見送ろうという意見と、結成を見送れば町の人たちの信頼を失い、今後の活動に大きな影響を残すことになるので結成しようという意見です。議論の末、発会を目指そう、ということになりました。昭和43年も12月を迎え寒さも厳しくなってきていました。発会式前夜昭和43年4月の発会を目指しみんなの腰が据わりました。がむしゃらに進むだけ、というのが当時の僕の思いでした。商店主さん、ドヤの管理人さん、土木建築や港湾の労働者、そのほかは、寿生活館や寿福祉センターの職員が主なメンバーでした。その他、関係団体では関心を持ってその推移を見守り、時にアドバイスもして下さいました。寿の自前の公認の組織を立ち上げ、市民権を得て行政や各関係機関と対話や交渉も前進するのではと期待されました。一方で、住民の多くを占める日雇労働者の労働や生活問題、1000人を超す子ど

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