— 155 —寿で暮らす人々あれこれ秋場(食堂店主)さん 中田(謄写印刷所経営・麻薬相談員)さん 木下(簡易宿泊所旅館組合事務局長)さん 朝日(管理人)さん 八木沢(管理人)さん 御園(管理人)さん 長井(労働者)さん 志村(労働者)さん 渡部(労働者)さん 小野(労働者)さん 板倉(労働者)さん 山(労働者)さん 田代(労働者)さん 紺野(労働者)さん 金原(喫茶店主)さん 田代(屋台店主)さん 三井(管理人)さん 谷川(横浜市寿生活館)さん 村田(寿福祉センター)等など。いま思えば、管理人さんの方々もそうそうたるメンバーでした。その方々は、寿ドヤ街の形成が本格化した昭和35年頃から、秋場さんや木下さんたちと活動をしてきた筋金入りの方々でした。当時、寿地区が所属していた埋地七か町連合町内会の存在は遠いものでした。そんな中で、秋場さんや木下さんたちは、寿の管理人有志と寿の生活問題解決のため様々な地域活動をしていました。さて、日雇労働者の方々は、横浜市立寿生活館の相談員たちとともに、寿の問題や課題を実現するために様々な活動をしている方々でした。当時の管理人さんの役割は大きくて、多くの管理人さんは宿泊者の生活の世話や相談相手ともなっていました。管理人の朝日さん、八木沢さん、御園さんは、地域の活動にも積極的に協力をされていました。三和荘の柱井さんは、こんな方でした。宿泊しているAさんは高齢でアル中、妻は今で言う知的障害がありました。小学生の子どもと生まれて間もない赤ん坊の四人家族を陰に陽に面倒を見ていました。Aさんは、部屋でもよく失禁し、小さな卓袱台の下にバケツを置いて、それを小便器代わりにしていました。そんなわけですから、床が抜けたのも一度や二度ではなかったといいます。それでも追い出さずに生活を見守っていました。周りのおかみさんたちも日々できる手助けをしていました。そんな協力で、Aさんもお母さんも、それなりに生活し、子育てしていけたのでした。商店主や管理人さんたちと、日雇労働者たちとの考え方は違いました。一方は寿のいろいろな団体や行政
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