— 154 —誰でも受け入れる町なので、何度でもやり直し再チャレンジすることができると言い換えることができるでしょう。寿にしかありません。寿でしかできません。寿地区自治会結成の頃とその人々昭和43年8月の頃、寿に「今こそ夜明けだ…立ち上がろう」という呼びかけの文書が配布されました。寿に自前の住民自治会を作ろうとの呼びかけです。呼びかけ人として食堂の店主である秋場茂、民生委員である木下陽吉、麻薬相談員であり南区の英町に住まう中田志郎などの署名がありました。皆さんは、寿生活館や寿福祉センターができる以前、昭和35年頃から、寿を暮らしよい町にしようと地道に熱心に幅広い活動を展開してきた人たちでした。僕は会合に参加しました。それは、僕にとって大きな出来事となりました。通常の業務のほか、福祉センターの相談室は、寿地区自治会発足の活動の場になりました。夜は、活動に参加している人たちに、活動の進捗状況を伝える連絡に走り回ることが日常になりました。設立に向けた活動は、大きな問題と課題に直面することになります。ドヤの管理人、商店主、日雇労働者の利害が対立するのではないか、自治会がどこまで取り組むことができるか、自治会の結成は時期尚早ではないかとの不安が指摘されていたからです。昭和44年4月の自治会発会に至る8ヶ月間の間、このことはいろいろな場面で直接、間接に問題や課題として議論され、活動に影響を与え続けました。なにはともあれ、あとはやるだけ!今から43年前のことです。結成のための準備会合は頻繁に持たれ、熱気がありました。会合を重ねるにつれて少しずつメンバーが増えていきました。以下はその主な方々です。
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