寿で暮す人々あれこれ
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— 152 —た後「心臓が苦しかった」といって、その日は一日自室で静かに横になっていました。その後、いつにかわらぬ豊さんの姿が街の中で見られました。時に、ほろ酔いで気持ちよさそうに空中を散歩しているような歩きぶりの姿を見かけることがありました。声をかけると、照れくさそうに小さく手を振って離れていきました。後姿を見ながら思うことがあります。戦前、戦中、戦後と子ども時代、青年時代、壮年時代を激動の中に過ごした人生だと思いますが、そんなことが想像できないくらいのどかな後姿でした。寿ドヤ街 番外編 ─ パードレ・ニコロさんのこと寿ドヤ街は見る人たちやその立場によりいろんな解釈をされてきました。解釈は、強い立場から弱い立場に向けられます。解釈は権力と置き換えることができるでしょう。商店主さんや不動産屋さん、タクシーの運転手さんなどから「突然殴られる、当たり屋がいる、前科者が多いなど怖い町だ」と聞かされます。時には「殺される(…)よ」と言う人すらいます。そんなうわさで寿のイメージが出来てきたのでしょう。そんなわけで、転居のアパートを探す時、寿に住んでいるとわかると遠まわしに断られます。寿は移動人口で維持されていますが、長く暮らしている方も多く、ある人には終の住家でもあります。寿は6500人の生活の場です。さて、10年程前、当保育所にコロンビアで長くストリートチルドレンの問題に関わっていらっしゃるパードレ・ニコロ(ニコロ神父)さんがいらっしゃったことがあります。横浜で、全国的な幼児教育集会が開催された時に招かれたのです。その集会の実行委員の一人である津守先生から、ニコロ神父を寿福祉センター

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