寿で暮す人々あれこれ
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— 147 —寿で暮らす人々あれこれる。今も、故郷でAAの中心メンバーとして、アルコール依存症者の回復のために地道な活動をしている。Uさん:自称遠賀川筋の出身、60歳になってから酒をやめる。アノニマスネームは「重症」60歳になってから「感謝」という言葉を知ったよ、が口癖。漢字はルビをふらないと読めない。グループの会計係も務めた。生まれて初めてで出来ないといったが、仲間が手伝ってくれた。AAの仲間から好かれ親しまれる存在。AAメンバーは、Uさんを見ると温かい気持ちになるのだという。念願がかない母親と生前に会い話すことができた。兄から母が「ずっと心配していたよ」といわれたと目をうるませていた。それから間もなくお母さんが亡くなり葬儀に参列できた。その後、認知症になり入院。AAメンバーに見守られて亡くなった。Bさん:神学の学校を中退。やがて、寿で日雇い労働。ある日アルコールの禁断症状で家屋侵入罪で逮捕。その後九州の弟さんが身元引受人となり付き添われて相談に来所。能面のような無表情。すぐに寿のAAミーティングに出てもらう。回復後結婚、一児をもうける。デイケアセンターの職員になる。アメリカのアルコール専門病院の研修を受ける。AAの5年に一度の世界大会にも何回か参加している。福祉施設の職員となる。その後、アルコールデイケアセンターの施設長になる。Cさん:ホームレスで暮らしていた。周辺の方々に度々迷惑をかけ何度も通報された。パトカーにノースピアの岸壁まで連れて行かれ、ここから飛び込めと言われた経験がある。回復後、浜松へ毎週1回通い、浜松にAAグループを立ち上げた。3年程かかったという。浜松は彼が世話になった精神病院があるところ。病院への恩返しと依存症者へ回復のメッセージである。

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