— 142 —きを受け止めるにはそれなりの感性が求められることでしょう。当時の僕は、寿文学研究会や寿夜間学校には時々出席してはいましたが、その存在と活動の深い意味は理解できていませんでした。長い時間がたって、振り返ることでその意味を改めて感じることができたような気がします。参加していた一人ひとりの方々のかけがえのない人生の重さが交錯していた場でありました。やがて夜間学校から寿職字学校が誕生していきました。結びに、数多い加藤さんのエピソードの一部を紹介しましょう。時々雑談やら相談に来るNさんが、思いつめた面持ちで「お前たち、俺たち障がい者の苦しみはわからないだろう。この薬が飲めるか…」 差し出された薬をエイッと飲んでしまった加藤さんはそのまま昏倒。休んで治療を受けました。数日後の感想。「Nさんはこんなにすごい薬を飲んでいるんだ…」寿の日雇い労働者のSさんが、東北は一関に出張。仲間5人と改札口を出る時、かねての打ち合わせ通り親指を立てて後ろ、後ろと言いながら出ていきました。仲間の最後尾だったSさんも後ろと言って出ようとしましたが、後ろには誰もいませんでした。駅員に手首を掴まれてしまいました。俗に「てっぽう」という乗車方法でした。電話で連絡を受けた加藤さんは早速一関へ向かいました。勿論、Sさんの料金を支払うためです。僕は後でその顛末を聞いて仰天しあきれ返ったものです。今は懐かしく愉快な思い出です。人生をとりもどす ─ 長さんのこと夜間学校で文字を学び始めた長さんは、やがて「人生は長いトンネルだった」と題した個人史をまとめま
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