寿で暮す人々あれこれ
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— 138 —多分お酒が入っていたのでしょう。尾野さんは飯場の近くの新幹線の防御柵をよじ登り線路上に立ってしまいました。幸いなことに、疾走する新幹線の風圧で飛ばされ気を失っただけで事なきを得たのだといいます。このことは新聞にも報じられたそうですが、その記事を確かめたことはありません。 トスオを返せ ─ 亀さんのことさて、寿には長く続いた夜間学校がありました。その成立のきっかけは、寿生活館の相談員の加藤さんと寿で亀さんと呼ばれていた方との出会いでした。亀さんは主に飯場で働いて生活の糧を得ていました。別れた妻との間にお子さんが一人いました。寿生活館の職員に相談して紆余曲折の末、養護施設に入ることになりました。しかし、酔うと相談室に来ては、抗議とも願いとも取れる言葉で「トスオ(正しくはトシオ)を返せ」と言っていました。時に、僕にも「トスオ」を施設から出してくれと言いに来ました。亀さんが当所の夜間診療所を受診したことがあります。体中が擦過傷でした。聞くと、薄暗がりを歩いていると自分の影が一緒に歩いています。何気なくその影をエイッと飛んで踏もうとしたらマンホールのふたが開いていて!?落っこちたんだと…。僕は身体をよじって笑い転げたのだが、亀さんは、憮然として「笑い事じゃない」加藤さんとの話に戻ります。亀さんは、字が読めないので目的の飯場や現場にたどり着けないことがある悩みをもらしました。電車やバスの放送に必死に耳をすましても聞き取れないことがあります。そんな話を聞いた加藤さんは、亀さんと二人で神奈川県内の路線の駅名から勉強することをはじめました。亀さんが仕事のない時、加藤さんと勉強する姿が見られるようになりました。それを見た日雇労働者の長さんも読み書

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