寿で暮す人々あれこれ
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— 135 —寿で暮らす人々あれこれ寿の人々は、過去はどうあろうと。今がその人そのもの。所属する団体も肩書きもありません。みんな無名です。アルコール問題で、様々な団体の方々が集まり会議をした時です。自己紹介があり、各自名前と所属団体と肩書きを名乗りました。日雇をしていた人は「ただの○○です」と名乗りました。保育所の前の職安広場の階段に何人も座っている方々がいます。僕もたまにそこに座って通りを行きすぎる人々を眺めていると、半日はすぐに経ってしまいます。今はそんな余裕はなくなってしまいましたが。さて、プライバシーや個人情報保護が強化されるにつれて、人の関わりや連なりが希薄に、窮屈になっています。目に見えない規制や配慮が求められるようになりました。時を経て寿生活館のダイナミックな職員事務室兼相談室兼社交場は、改造されてからは相談員の姿が見えなくなりました。受け付けを通らなければ相談ができなくなりました。規制や決まりごとが少しずつ増えてきました。相談のための相談室になりました。相談は相談員のための相談所になってきているのではないでしょうか。やがて誰も来なくなるのではと危惧したりします。相談がなくなったわけではありませんが、相談員との間のぬくもりが薄れてくれば、かかわりの中で相談がうまれてくるということもなくなるでしょう。寿で暮らす人たちは相談する前に人間として安心できる場所かどうか、敏感に察知します。危険なところには近寄りません。相談を通し自尊心を傷つけられた経験は多いのです。住所、氏名は、と聞かれることもつらいのです。僕には、多くの相談所がそのような方向に推移しているように思えてなりません。実は、相談所は相談をするという場ではなくて、相談する人も相談を受ける者も人間として対等に出会う場ではないかと思うのです。その中でお互いの気づきが生まれるのではないでしょうか。相談は実は相談所の一部の機能にすぎません。お互いが生きる力を見出す場だと思います。僕はあるときから、相談ができなくなりました。雑談になりました。相談に来た人自身が答えを見つけ出すようです。寿生活館の草創期を駆け抜けた職員の中には、すでに鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。当時の職員の皆様へ尊敬と感謝を込めて。

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