寿で暮す人々あれこれ
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— 134 —というよりは、相談でのトラブルや感染から相談員の身を守ることに重点が置かれていたように思います。相談員の配慮に欠ける一言で相談をあきらめる方、口惜し涙を流す方、怒りに震える方もいらっしゃいました。釜ヶ崎の市立更生相談所、略称で市しこうそう更相のことを、釜ヶ崎の人たちは、死しこうそう行相と呼んでいました。寿生活館の相談室に相談に来た方々は相談の解決というだけでなく、この場所で生きる力や意味を吸収していました。職員も相談に来る方々から力と元気をもらっていました。この相談室は一言で言うなら、寿で暮らす人々と相談員の人間関係が広がる、というふうに言うことができると思います。それは、寿の可能性に置き換えることもできると思います。そんな雰囲気があったから、相談に来た人もリラックスできていたのでしょう。僕の相談のイメージは、1対1の専門家の力量による相談ではなく、寿生活館の相談室のように、悩みや問題がそのまま生きる力になる可能性を持つ場ということにあります。寿生活館の相談所はいろんな方が雑多にいることで、その醸し出す雰囲気が相談を生きる力に転化させたもとであったと思うのです。寿生活館草創期の相談所は、労働者も、母親も、子どもも、老人も、酔っ払いも、喧嘩している人も、行事の準備をしている人も…。いろいろな人がごちゃごちゃに居て活気があって居心地が良い相談所でした。まぎれもない寿の人たちの相談室でした。寿の人々の「生」がもたらしたエネルギー空間と言えるでしょう。そんなだから、はじめから身構えた相談といった雰囲気にはならないようです。相談そのものがお互いの力になっていった不思議な相談室…なのです。そんな相談室ともいえない相談室、夢なのかなあ。実は、寿福祉センター相談所もそんな雰囲気だった一時期がありました。相談に来る人たちが主人公で、雰囲気もその存在感で作ったのではないかと思います。時代もあるけれど、寿で暮らす人々の暮らしが、人間交差点のような相談所を作っていたのだと思います。

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