寿で暮す人々あれこれ
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— 133 —寿で暮らす人々あれこれ今に伝わっていると思えてなりません。僕は、山谷とも、釜ヶ崎とも違う寿ならではの財産だと思っています。相談所!? 人間交差点!?横浜市寿生活館の建物は当初2階建でした。(昭和46年に増築され4階になりました)1階は保育園。2階が相談所でした。2階に上がると相談室と職員の居る部屋は、廊下からガラス窓越しに見わたせて、職員が何をしているかわかりました。子どもも大人も自由に出入りしていて、相談する人や子ども会や地域行事の打合せやらで活気がありました。まるで街中の延長のような自然な雰囲気でした。そんな中で、椅子に座ってうとうととしている相談員がいます。Tさんです。きっと、夜遅くまで町中で活動していたのでしょう。Tさんたちはドヤの一室を借りて、子どもたちの居場所として「松影子ども文庫」を開いています。夜は時に夜勤で働く両親の子どもを預かる場所ともなっていました。それは後年24時間保育をつくるもとになりました。相談室に入ってきた街のおっちゃんは、Tさんの肩をとんと叩いて「仕事中寝ている奴があるか」とどやします。うっすらと目をあけたTさんは、おっとりと、でも本当に申し訳なさそうに「あ!すいません」と言っておっちゃんと話を始めました。他の職員にはいつもの光景です。この職員室は、寿の人々にとって気さくな、しかも大変重要な場でありました。いろいろな人間が行きかう交差点のようでした。寿の重要な諸活動が生み出されもするという場でもありました。そんな交差点から当たり前のように深い相談になっていくこともありました。このような「場」は、山谷、釜が崎には多分ないでしょう。山谷も、釜が崎も相談の場は仕切られた個室でした。相談が済めば関係は終わりです。僕の感想ですが、相談に来た方の人権やプライバシーを尊重する

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